1 シンポジウム進行プログラム
2010年8月27日(金曜)
第1部 「吉阪隆正」とは誰か(映像資料の上映) 17 : 00 ~ 17 : 50
第2部 シンポジウム「『吉阪隆正賞』とは何か」 18 : 00 ~ 20 : 00
2 吉阪隆正賞規定及び、選考要項(2010.7.10 生活学会総会にて決定)
吉阪隆正賞規定
日本生活学会は、学会創成期に指導的役割を果たし、生活学の実践につとめた吉阪隆正氏の没後30年の節目にあたり、吉阪隆正氏の業績を将来にわたって継承するとともに、「生活とかたち」を追求した創作的実践活動の振興を目的とする吉阪隆正賞を制定する。
1.授賞は、近年に公表されたデザイン行為によって、現代生活にあらたな光を見いだした個人または集団を対象とし、隔年ごとに選考および授与するものとする。
なお、該当者のないときは授与しない。
2.受賞者の資格は問わない。ただし、吉阪隆正氏から直接薫陶を受けた者はのぞく。
3.受賞者には、賞状・賞牌を授与する。
4.受賞者の選考は、選考委員会が行い、理事会で決定する。
5.選考委員会は、理事会が指名したものによって構成される。
6.授賞式および選考報告は、日本生活学会の総会において行う。
吉阪隆正賞選考要項
1.候補の選定
(1)公募、および、全会員による推薦を受け付ける。
2.選考委員会の開催
(1)選考委員会および委員長は理事会が指名する。
(2)選考委員会は、専門委員を指名する事ができる。
(3)選考委員会は十分討議の上、授賞候補作を多数決で決定する。
(4)選考委員長は以上の経過ならびに結果を、理事会に報告する。
3.理事会による決定
(1)理事会は選考委員会の報告を受け授賞を決定する。
4.上記に定めのない事項に関しては、選考委員長および選考委員会の判断に委ねる。
以上
2010年度吉阪隆正賞選考委員会名簿
内藤廣(建築家・東京大学、選考委員長)
岡崎乾二郎(造形作家・近畿大学)
進士五十八(造園家・東京農業大学名誉教授)
中谷礼仁(建築史・早稲田大学)
西川祐子(文学者・元京都文教大学教授)
藤井敏信(国際平和政治学者、東洋大学)
松山巖(評論家)
3 議事録
内藤:
(一巡目)
この30年間に失われたものがある。この国の根っこにある生命力が失われてきているような気がする。それは、造形的意味合い、人間そのものの厚みに現れている。今、都市や国土の問題を、真に人間の観点から覆す生命力が我々にあるのか。晩年の吉阪が予感し、強く感じ、問うていたことは、それだったのではないか。
不連続統一体、有形学などの裏には、根源的な生命力をつなぎとめたいという気持ちがあったのではないか。そこに希望を与える人を探し顕彰したい。人間の本質に迫る挑戦をしている人にもっと発言して欲しい。
吉阪は、頭と手がリンクしているべき、とよく言っていた。頭だけでいくら考えてもダメだ。この賞も応募作と審査員の議論の中で賞の有り様が見えてくるのがよい。巳年の吉阪は自分のことを、蛇は捕まえにくいんだ、と自分のことを評していた。捕まえにくいところがこの賞の特徴になるのも面白い。
(二巡目)
ことば、行動、かたち、政治どれもちがうものだけど、吉阪はどれも似たトーンを持っていた。吉阪隆正という身体性を背景に、極めてそれに正直だったからだろう。だから、なにをしても吉阪らしさが出てしまう。その正直さが大切。「生み出すものに対して正直である」人に賞をあげたい。
七十年の万博を境に日本は商業国家になったのだ。あれ以来、建築も都市も商業国家のあだ花だ。今それに陰りが見えて苦しんでいる。見方を変えれば、商業国家になるべく経済成長時につくられた諸制度が、時代遅れになって破綻し始めている、と見ることも出来る。
吉阪だったら、いかなる時代であれ自らのことばと態度に基づいた発言をし、提案をし続けただろう。二流の商業国家に成り下がった日本の全般的状況に対して、その根っこにある構図をあぶり出すことができれば、価値のある賞に育っていくだろう。

岡崎:
(一巡目)
吉阪は建築の世界を超えた思想をもち、活動を行ない、そしてゆえに建築の世界を超えた可能性と影響力を持っていた。そこに注目したい。
例えば吉阪の有形学は、エコロジーではなくユーケロジーであると本人が述べていたように、人間が暮らす環境は、自然とされている環境も含めてすべて人為的につくられた環境であるという発想にもとづいていた。つまり人間の文化は初めから、カタチとして輪郭づけられている。建築も含めて、人の文化に関わる、大概の議論はこの輪郭の内側である議論にすぎないことが忘れられがちである。しかし、それが人為的なものであるかぎり必ずそれは破綻し、どんなカタチもどこかで切断される。つまり外部がある。吉阪隆正の面白さは、こうした形の不連続性、破綻、外部を組み込んだ発想にあったところ。当然、建築ではなく、建築がぶっこわれるところ、いいかえればゆえに、それこそが建築が必要とされる条件でもある。かたちをつくるということに対する根本的な疑問が彼の思想に見られると考えている。それは
① かたちをミクロな分子、細胞状の状態(たとえばミクロの個々の生活者の生活のレベル)までに分解、解体して考えていく方向性があり、その分離した分子の接合から、連合から、どのようなかたちが組成されていくか、あるいはまた解体していくか、を考える思考
② こうした集合としてのかたちが作り出す外郭の外、いかなる生存も不可能な、過酷な自然との関わりの中にかたちの起源を見出すという思考
の二つの方向が見いだせるだろう。いずれにせよ重要なのは、カタチにおいて、外部と内部(死と生)の区分、不連続性はむしろ条件であり、この区分の間のやりとり、調停方法こそが生存の手法であり、技術であるという発想である。ゆえに単なる形態論ではなく、生物学、生態学、気象学、政治学、社会学さまざまの事象に通じる普遍性をもった理論だった。
ルネ・トムのカタストロフィー理論(カタストロフィーとは不連続性を意味している)との共通性がある。
この賞を通じて、吉阪隆正というすごいカタチの思想家が与えた、与えうる可能性の広がりを、建築家という狭い定義を超えた、多くの人たち、他の分野の人にも知ってもらいたい。デザイン行為とはなにかという定義を考え直すきっかけになるだろう。デザインとは境界をつくること。もしくは境界同士を結びつけること。つまり政治的な調停もデザイン行為として理解しうる。
(二巡目)
審査員は吉阪隆正の活動と思想の特異性そして可能性をいかに捉え、理解しているかが問われる。この賞にふさわしい活動を行った人のモデルは吉阪隆正その人しかいない。つまり、この賞は、吉阪隆正をモデルにすることによってしか得られることのできない基準によって選定されるべきだろう。
過渡期という言葉、流通という言葉が質問にでてきたが、安定した社会構造の中での行為、仕事は、その閉じたサーキット=流通のなかでの需要、欲望、要求を実現することで行われ、個々の事物の形態も決められる。「過渡期」というのは安定していない。流通そのものの回路が破綻している。吉阪の発想はこうした回路が破綻することを前提としている。そこでカタチを組み立て直す、
人工的に作られた環境もそれが与件として与えられる=安定していると、それを自然、生態系だと勘違いしてしまう。吉阪にとっては、むしろそれが破綻するところが自然である。

進士:
(一巡目)
大学全体に責任を持つ立場になって分かるのだが、吉阪の書いた「告示録」は参考になるし、その気持ちも痛いほどよく分かる。
アカデミックなテリトリーでは、研究者たちが自分で勝手に枠を決めている。より大きな枠組みに対する使命感がないからだ。細かく区分けされた枠組みに留まる研究論文のみが評価の対象となっている。今はそれ以外のことが余分だと認識されている。政治は自分と無縁だと思っている。
本来は研究+教育+社会貢献が一体となることが必要。建築はあまりに内向きなデザイン指向になり過ぎている。社会性が欠如しているからだ。
吉阪という存在は、既成概念を超えている。一定の枠組みに押し込めることができない。それが本当の学問なのではないか。自分の力で、自分の判断で動く。既成の体系を超えて活動する。どう新しい世界をつくるか。
(二巡目)
まともな人にあげたい。今変な人とされている人はまともな人。まともな人を評価する基準を早くつくりたい。
みんな主体的に行動する側に回ろうとしない。吉阪はある種正義感から当たり前のように活動していた。
[フロアからの質問に対して]
目安がないとできないというのは自然環境に対しては正しい。ただ、だからそこに持っていくというのは間違い。演繹的に、生きてきた経験から考えれば良い。そしてそれに基づいた行動をすれば良い。教えられたことだけではだめ。

中谷:
(一巡目)
メモ─『デザイン行為は現代生活にあらたな光を見いだしうるか』
吉阪隆正賞選考規定のもっとも重要な規定は、近年に公表された「デザイン行為によって、現代生活にあらたな光を見いだした」個人または集団を対象とすることであると考える。
私自身はこの選考規定にさらなる詳細な規定を付加する必要はないと考える。しかし、以下の二つの設問に応えておくことは審査員の一員としての義務であると考えている。
1)デザイン行為とは何か
2)デザインが現代の生活にあらたな光を与えうるか
1)デザイン行為とは何か
デザインとは先ず動詞であった。「行為」が付加されたのは、本来の動詞的側面が忘れ去られている現在的傾向についての注記のようなものだと考えたい。
それをふまえた上で、デザインの最終的な目標とは何か。
それは「かたちを決定すること」(クリストファー・アレグザンダー)である。
回り道をする。そのかたちは周囲のコンテクスト(要求)と切っても切りはなせない。「かたちとは、我々がコントロールできる世界の一部分であって、…またコンテクストとは、この世界のかたちに対して要求を提示する部分である。この世界でかたちに対する要求となるものはすべてコンテクストである」(承前)
この定義においては、かたちはコンテクスト(全ての要求)によって決定されるものである。それは正しい。なぜなら意識された要求群(デザインを必要としている状態)とは、すでに相互に矛盾を抱えた解決せねばならない、創造を喚起する状態だからである。これは吉阪が、「不連続統一体」とのべた拮抗、矛盾の中の調和的瞬間としてのデザインの本質であると思われる。
それゆえに私は、吉阪賞の応募資格は、かたちを決定する者、集団でかまわない。それは充分に広く、かつ明瞭だからである。
2)デザインが現代の生活にあらたな光を与えうるか
それでは以上のような《解決》としてのデザインは、現代の生活にあらたな光を与えうるだろうか。「解決」ももちろん《あらたな光》ではあるが、別の段階があることを指摘したい。
それはかたちに結実した存在のもつ力である。それが逆に創造的問題を引き起こし、新しいコンテクストとして、周囲に変革を迫るのである。これはデザインの物質化、時間化、社会化によってひきおこされる《あらたな光》である。
ではそのようなかたちを作るときに、吉阪的本質とは何か。
3)U研とは「宇宙」研究所ではなかったか
早稲田建築の系譜にあって、今和次郎、吉阪隆正に至る流れは、現在において、いまもっとも潜在的な可能性を秘めていると確信する。それは両者がいずれも「宇宙人」的であったことに由来する。
・今は都市的、地理的視点を包摂した視点から、振り返って無名の民家の細部を採集した。
・今は考古学から出発して、考現学を発明した。故意に現在を切断し、考古学のように見つめ直すことで新たな世界を提示した。
・吉阪のデザインには周囲の拮抗を統合したかのような細部と、その細部に必然性を与える拡大された世界的コンテクストの見方が同時に示された。
・手の作業にこだわりながら、単純なヒューマニズムではなく、それはきわめて闘争的文明論の帰結でもあった。
両者のデザインには、人間でありながら、同時に宇宙人である(故意に人間的事情を断ち切る)という移動が存在する。そのギャップはかたちを作るその場で同時に時間化、宇宙化がなされることでもあった。
人間にとって宇宙人とは絶対的他者のはずであった。しかし考えてみれば人間も宇宙人の一人なのである。このような振幅の大きい視点移動とそこから導きだされるデザインこそが、本質的にあらたな光を生活に与えうるであろう。
具体的でありながら、同時に「プラネタリー(惑星的)」な思考に裏打ちされた行為に、吉阪賞を献じたい。
(二巡目)
吉阪賞は従来のカテゴリーを包含した未来のカテゴリ―をつくりだす賞として成立させるべき。そのための審査を行なうということになると思う。
戦争という問題。吉阪隆正的なものが今流行ったり、リヴァイバルしているわけではない。未解決のテーマを発した人物は常に残っている。だから吉阪隆正賞はある世代を反映したものになるはずがない。
もし世代がテーマになるのだとしたら、例えば戦争のような、人間の視野社会のカタストロフに結びつくような時間を共有してこその世代なのだと言える。その意味で西川先生が吉阪の従軍体験を指摘したことはきわめて重要。

西川:
(一巡目)
吉阪隆正は、第二次世界大戦の廃墟の中から、戦後の新しい生き方を住まいという形にして提案した建築家である。吉阪は植民地収奪/戦争/敗戦と被占領/戦後高度経済成長あるいは海外経済進出があった日本型近代を生きた。旧植民地であった中国内陸部の調査体験、兵士としての戦争体験、焼け跡復興にたずさわった経験と戦後フランス留学体験、日本の高度経済成長期と平行した海外教育体験、学園闘争期の学部長体験など、いずれも転換期観察に絶好の立ち位置をあたかも選んで獲得したかのように見える。偶然の運命を必然にかえる積極的努力の結果であろう。1980年に没した吉阪隆正は、バブル崩壊後ここ数年とくに深刻な経済危機、人心の荒廃、若者の不安などをじっさいには体験しなかったのであるが、想像力によって次に来る転換の予感をいだいたのではないか。審査委員長が引用された「経済が独走し、技術が横暴に振る舞い、政治が横車を押しているような今日の状態」という文章もその証の1つであろう。しかし、この文章だけでは、経済も、技術も、政治も正常であったためしがない、いつの時代だってそうだった、特に近代以後は、と反論されるかもしれない。吉阪隆正賞を設ける目的は何かをより明確にしておきたい。これから5回の賞を出す10年間が時代の大きな転換期にあたるという予感にしたがって、くりかえす戦争という最悪の選択をとらないために人知を集めることをしたい。
素案にある「現代生活にあらたな光をみいだした個人または集団」の文章に「<転換期にある>現代生活に」と、<転換期>挿入してはどうだろう。今回の転換期は、近代に何度かあった、そして吉阪隆正が経験した幾度かの転換期と何が同じで何がちがうのか、をシンポジウム「吉阪隆正賞とは何か」において問う必要があろう。
従来の社会を動かしていた多くの装置が現在、機能不全をおこしている。身近な例でいえば、標準家族の容器の集合体として設計された大型集合住宅あるいはニュータウンであるのに、現実には家族棟の各住戸が標準家族の入居で完全に埋められていることはほとんど無い。家族の容器としての住宅建設という概念そのものが見直しを迫られている。家族を構成の基礎単位とみなした近代国民国家のあり方も転換期にある。国家をあたかも血縁集団のようにみなして「我々」と外部の「彼ら」を別のもののように見る必然がないと分かると、国際法により戦争と殺人の権利をもつ国家のあり方が怪物的に見える。国家が支えてきた資本主義的開発は今や資源の枯渇だけでなく、植民地や植民地的周辺、つまり外部がなくなることにより剰余価値を産むことがなく、持続不可能とわかってきた。これが吉阪のいだいた予感であったとしたら、かつての戦争の焼け跡におとらぬ荒廃をもたらした経済成長の廃墟を見つめながら、未来を照らすかすかな光をさがす吉阪隆正賞としたいものである。
(二巡目)
(フロアからの「近代のなかで『吉阪隆正賞』を授与するとしたらどんなデザイン行為に与えるか」という質問に答えて:)本日はわたしにも発言の機会が与えられていますが、じつは近代には女子供の居場所はありませんでした。わたしは近代に一票を投じるのではなく、近代の廃墟のさらに先にある希望の兆しを探したい。ルコルビジエや吉阪隆正のような近代の巨人がいるからこそ、彼らのおかげでわたしたちは近代に対峙しその先へと考えを進めることができるのではないでしょうか。

松山:
(一巡目)
吉阪先生とはほとんど縁がなかったが、吉村順三先生が講義で「この前、吉阪君の自邸に行ったのだが実に面白い」と言うのです。「息子さんが二階から小便してた。そういう生活があるんだね」と言っていた。吉村さんは、そういうことはとても考えられない人なので、驚いたのでしょう。私も、そのような家をつくる人ってどういう人なのかなと気になりました。
吉村順三先生は非常に合理的で、例えば手すりも細木でやるんですが、吉阪先生のディテールは全く違う。肉厚でいくつもの材を組み合わせていて迫力がある。手で触る感覚でものを考えているのだと思いました。
それからスケッチを見ると、落書きじゃないかと思う様なものが、そのまま建物になっているのでびっくりした。大らかさと細かさ、部分と全体で建築をつくっている面白さは僕が受けていない教育だったので気になりました。
吉阪先生とは2回会ったことがあります。僕が通っていた小さいバーが新宿にあったのですが、ある日、中川武が吉阪先生を連れて来たんです。とてもにこにこしていて、ずいぶん背の高い人という印象があります。もう一回は、山口文象さんのお葬式で吉阪先生にお会いしました。その時の吉阪先生の格好ですが、一応は黒い革靴なんですが、裸足だったんです。その事にびっくりしました。でも、吉阪先生には良く似合っていました。背筋がピシッとしていて、ダンディなんです。
今の建築や文化、教育は、マーケティングに乗っかってしまっていると思います。資本主義の社会ですから当然だと思いますが、大概は流行に流され右往左往します。建築家は大概はマーケティングに乗ろうか考えるわけです。ある時は格好いいデザイナーになってみたり、ある時はエコノミストになってみたり、ある時は社会主義者になってみたり、そうゆう格好をするわけです。それのどれが格好いいか、売れるのかという情報収集に明け暮れるわけです。現代はそういう時代に突入していて、それがいろんな意味で破綻している。やりようがないからいろいろな顔を作って生きるしかない。僕は、吉阪先生はそうでは無かったとは言い切れませんが、どうもそういった動きからは外れていて、それが非常におもしろいと思います。
僕は、吉阪隆正賞というのは、マーケティングに乗らない人達を選びたいと思います。ただ、賞を与えることでマーケティングに乗ってしまうという可能性があります。これは最大の矛盾ですが、吉阪先生が僕にとってとても変な人であった、謎の人であった様に、賞を与えても謎が残る人や集団に期待したい。賞には捕われないで、「賞を取ったから違う事やるぞ」というパワーのある人、今のマーケティングからちょっと外れていて、ばかばかしさに耐えるような人達に期待を込めて何か送りたいと思います。
(二巡目)
まともな人程変な人です。つまり、自分の内面を突き詰めていく人というのは他人には分かりにくい。だから、そういう人こそ一番変な人で、そういう人に賞をあげたいと思います。ただ、そういう人は探しにくいし、賞を取ると権威的になってしまうというのは当然のことだと思います。それこそ近代の発明したようなもんだろうと思うんです。どうしたら良いのかは僕にはわかりませんが、まともにコツコツとやるぐらい変な人に、賞をあげたいと思います。
今日、他の審査員の多くの方に初めて会ったのですが、随分と面白いことをおっしゃるので、大変だけど楽しみだなと思います。該当者無しになるのかなとか、いろんな危険性を孕んでいると思いますが。
4 フロアからの質問・要望
・今の時代、建物がすごく抽象的。吉阪はそうではないものを望んでいるのではないか。
・「賞」というものをどう考えているか。近代のなかで『吉阪隆正賞』を授与するとしたらどんなデザイン行為に与えるか。
・マーケティングにのらなくても、生命力を持ったものをつくるにはどうすれば良いか。
・今の時代に失われたもの、吉阪のような捉えにくいものを追い求める賞になってほしい。
・60年スパンの流行の一過になるのか。父の時代を憎んで、祖父の時代を活かすのか。
・公共事業縮小の中で、国土デザイン、既存ストックのデザインなどにもこの賞の対象に入るのか。
5 審査委員 藤井敏信氏メモ(シンポジウム当日は欠席)
吉阪の「まちづくり」に向かう姿勢については、「吉阪隆正の迷宮」(2005)の中で具体的に申し上げたことがありますが、さて、改めて造形を問う「吉阪賞」となると、幅が広く、賞の対象となる枠組みを、変動する社会との関係でどう定めるかなど、議事録を見る限り8月のシンポジウムの議論は刺激的であったと感じています。
さて、私にとって吉阪の代表的な建築は、ベネチアのビエンナーレ日本館や、お茶の水にあった日仏会館や、関西の赤星邸など、どちらかといえば初期のものです。いずれにも共通するのは、現場から始まり、果てしない試行錯誤の中で新たな形姿を求める、文字通り「徹底的」な造形に対するこだわりです。しかもその方法が同時的に集団(U研究室)の中に次第に埋め込まれていったプロセスがそこにあります。おそらく当時は吉阪先生の師事したル・コルビジェなどによる近代建築様式が強く影響していたと思いますが、それに基底されつつも部分から全体にかけて検証し、場合によれば一旦すべてを棚上げするような、原型的なエネルギーを感じることが多々ありました。
結果として、「吉阪+U研究室」の造形には、造られて以降これまで経てきた時間と空間を、最初から内部化しているかのような意味の蓄積が包含され、総じて理知的で、人間的で、そして手つくりの香りを醸し出す独創的な特色を有していたと思います。